定数削減とかいっていないで あいかわらず日本政界とマスコミではきわめて杜撰とすら言えない、なにも考えていない「定数削減」が語られている。このような惨状を見るにつけ、選挙制度の詳細な検討をおこなう本書は必読文献であると感じる。本書の利点については他のレヴューが適切にまとめているのでそちらを参照されたい。
きわめて有益な本書ではあるが、筆者が提示する結論については論証が足りない杜撰なものである。すくなくとも評者はまったく説得されなかった。
「各制度の思想的バックボーン」の重要性を説き、検討してきた本書の最後に、筆者は衆議院での完全小選挙区制と、参議院の権限縮小による「ねじれ」の解消を提案する。しかし、以前は衆議院の完全比例代表制を提唱していた著者の主張を転換したその根拠は、日本の現実政治に対する幻滅であり、著書の中で批判的に触れられていた制度に対する過度の決定論に著者自身が依拠してしまっている。そしてなぜ著者が「政権交代」を最重要視し、民意の議席数での反映を軽視するのかについての、「思想的」根拠は語られない。
二大政党制を衆議院で実現することと、同時に参議院を良識の府にするという制度構想についてはその困難さは想像に難くない。また、「ねじれ」がそもそもなぜ問題なのか。討議による合意や妥協ではなく、なぜ制度的に多数決の決断主義を取らねばならないのか、それはそもそも「民主的」なのか、という「思想的」検討はもちろんのこと、「ねじれ」がなぜこれほど日本で問題になるのか(フランスやアメリカなど複数の代表選出制度のある国では「ねじれ」は普通である)を比較政治学的に検討することが重要である。この点、5%の制限つき比例代表並立制であるドイツの制度に優位性を見ていた筆者の見解がなぜ変化したのかを詳細に語る必要があろう。
提唱する制度が変化したことを正直に述べる筆者の姿勢には、学問的・政治的誠実さを疑うべくもない。しかし、以上述べたように、最終的な制度提案の根拠についてのみまったく不十分であり、首肯できないものとなってしまっている。
日本の選挙“制度”に関する本 「民主政治は一つの取るに足りない技術的細目にその健全さを左右される。その細目とは選挙の手続である。……選挙制度が適切なら何もかもうまくいく。そうでなければ何もかもダメになる。」これは『大衆の反逆』で有名なオルテガの言葉らしいです。
結構専門的な内容だし、古典の話まで出てくるのだが、ちっとも難しくない。著者の力量に感服する。
「解説や分析だけは一生懸命書くけれどその後は読者が考えて下さいね」という日本の書籍にありがちなパターンではなく、本書での内容を通じた著者の意見がしっかり書かれているところに好感が持てる。主張に賛同するかはともかく、この分析からこの主張が出てくるという流れは勉強になる。
本書を通じて一丁前の意見を持てるようにしてもらったのだから、著者の意見と自分なりの意見を戦わせてみるのが最高の賛辞になるだろう。
新聞の政治面が物足りない人のために 新聞の選挙制度報道は判子で押したようにいつも同じことを言っている。曰く、小選挙区制は安定した政権が作れるが死票が多い、比例代表制は選挙民の意見を正確に反映しかつ死票がないが小党分立で政権が安定しない・・・この本は話がそれでは終わらないことを教えてくれる。もともと小選挙区制と比例代表制は根底にある理念が異なっている。選挙制度を論じるには、まず依って立つ政治理念を明確にしなくてはならない。90年代の政治エネルギーの大半を費やしたかに思える選挙制度改革において、このような根源的な議論が行われただろうか。国民はそれを少しでも知っただろうか。
選挙制度問題を考えれば考えるほど、政治とカネの問題など瑣末なことに思えてくる。立花隆の自論である「イギリスなみに厳しい政治資金規正法を制定すればすべてうまくいく」という主張は、実行すれば政治家はカネには清潔になるかもしれないが政治が良くなることはあまりないような気がする。
参議院改革問題についても、政治学者である著者は世評とは違う視点を持っている。著者に言わせるなら、参議院は第二院としては異様なほど強い権限を持っており、法案の審議についてはほとんど同等である。与野党伯仲の時代にあっては、衆参両院の議決が異なると、法案はほとんど成立しない。参議院の権限を強めるなどもっての他である。独自性を参議院に求めるなら、政争から一歩離れて、「再考を促す」院としての性格を強めるべきだという。
他にも読むべき点は数多い。文庫本を専門の政治学者が本気で書くと、これほど読みでのある本になるとは思わなかった。著者は今後も一般人への啓蒙活動を盛んに行ってもらいたい。半可通の政治談議は飽きた。根拠のある骨太の議論が読みたい。
選挙制度入門 1949年生まれでドイツ留学経験を持つ政治学者が、「選挙制度のデパート」と揶揄される無原則な日本の選挙制度を、他国との比較を通じて批判的に分析した本。本書の長所としては、第一に日本の選挙制度に関する用語が特殊日本的なものであることを明らかにしていること、第二に制度の思想的バックボーンを強調していること、第三に国政選挙制度を他の政治制度との関連性の中に位置付けていること、第四に情報コストという観点により制度の実際的機能が検討されていること、第五に多様な選挙制度を分りやすく分類・解説していること等が挙げられる。他方、本書の短所としては、政治全般に及ぼす選挙制度の影響力を強調しすぎているきらいがある点である。制度の実際の機能については、多くの要因が介在していると著者自身言ってはいるが、基本的に著者の視角は選挙制度モデル中心である。また、制度・政党分析中心のため、選挙民の分析が弱いように感じられる。選挙民と政治との関わりは選挙だけではないのだから、請願等との比較の上での政治における選挙の位置付けの検討が必要だと思われる(私見では、民主主義とは絶対的真理の否定=真理の相対化であり、修正可能性のことだと思う。その修正可能性をどう確保するか。選挙はその最も重要な手段であると共に、また一つの手段でしかない)し、消費社会化の中での議会と選挙民との乖離の問題もある。こうした問題への言及は本書の中でも散見はされるものの、正面から論じられているわけではない。著者からすれば、それらは本書の問題設定外なのかもしれないが、本書の分析の細部において私が違和感を感じる主な原因は、このことに関わっているように感じられる。なお、著者自身の立場は、小選挙区制と比例代表制でどちらがよいとも言い難いが、少なくともどちらか一本が良く、日本の現状を見る限り、暫定的に小選挙区一本が良いというものである。
レベルの高い啓蒙書 政治思想や他の政治システムとの兼ね合いで選挙制度を考えねばならない、と著者は力説する。選挙制度にまつわるよくありがちな誤解を正しており、啓蒙書としてよくできている。統一地方選の前に選挙制度の意味を再考するには恰好の一冊。これまでは、瑣末的な専門的知識に拘泥し視野狭窄に陥ることの危うさが主張されてきた。が、それは結果的に専門知の軽視につながってこなかったか。タコツボ批判は結果的に、赤子を産湯と共に流してしまった。いまや書店には、政治学を知らない人の政治論、経済学を知らない人の経済論、法律学を知らない人の法律論が溢れている。どれも、右と左のイデオロギー先にありきのくだらない本ばかりだ。 経済学者野口旭氏の一連の仕事で代表できるように、近年になって漸!く、近代知の復権ならぬ専門知の復権が起こってきた。本書もまた、その流れの中に位置付けることができる一冊だ。解説が安心して読める。 ところで、昔の啓蒙書は「啓蒙書なので」参考文献や注が省略されていることが多かった。本書巻末には参考文献表が付属しているが、独学の便という意味で、啓蒙書にこそ参考文献表は必要だろう。評価したい。 なお、首相公選論と選挙制度の絡みでは、同じ中公新書の『首相公選を考える』や、日本評論社『いま、憲法学を問う』収録の長谷部恭男教授の対談を読まれるとよいだろう。
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